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「世界一キライなあなたに」~人生のエンディング、自己決定はアリか(ネタバレあり)

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世界一キライなあなたに [ エミリア・クラーク ]
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賢いとは言えないけれど、明るくて感情豊かなルー(エミリア・クラーク)。彼女が仕事で世話をすることになったのは、肢体不自由者となって心を閉ざしたウィル。二人がやがて心を通わせていくなか、彼のある決断に衝撃を受けます。(2016年)
おすすめ度★★★

あらすじ

イギリスの田舎町で、ルーことルイーザ・クラーク(エミリア・クラーク)は失職を機に、交通事故で車いすの状態になってしまった青年実業家ウィル・トレイナー(サム・クラフリン)の介護と話し相手をする期間限定の職に就く。活力を失っていた当初は冷たい態度を取るウィルだったが、彼女の明るさに徐々に心を開き、二人は惹(ひ)かれ合う。そんなある日、ルーはウィルの秘密を知ってしまい……。

 シネマトゥデイより

イギリスの田舎町で、失業中の父をはじめ一家6人で暮らすルーことルイーザ。パン屋で明るく働いていたものの、パン屋の廃業により失業してしまいます。家計が苦しい一家にとって、ルーの再就職は死活問題。ようやく見つけた次の仕事は、首から下の身体が完全に麻痺した男性の介助の仕事でした。

まずとにかく、このルー(エミリア・クラーク)がかわいくて微笑ましい。『悪趣味』と『かわいい』の境界あたりの、ダサめで個性的なファッションが、見ているだけで楽しくなってきます。お金がないので高い服ではないですが、表情豊かな彼女の明るさで、ちょっと浮いてるユニークな服でもカラフルで個性的に見えるのです。

そして、ルー(エミリア・クラーク)は太ってはいませんが、ウエストも脚も、ややむっちりしている感じでモデル系ガリガリ体型じゃないのもイイ。

彼女が見つけた新しい仕事は、心を閉ざして皮肉ばかり言う肢体麻痺の男性、ウィルの介助。彼女のことをまったく受け入れようとしない彼の態度に心が折れそうになるルーでしたが、取りつくろわずに接するルーに対し、ウィルは徐々に態度をやわらげてゆくのでした。

ルーには、7年来の恋人がいます。でもその恋人は筋肉バカみたいな男。やっと二人でバカンスに行くはずが、トレーニング仲間たちも一緒に行って旅先でトライアスロンする!とか言い出すアホ。

(余談ですが、ルーの難ありの恋人・パトリック役を演じているのは、「ハリー・ポッター」シリーズでぽっちゃり丸顔のネビル役だった、マシュー・ルイス。成長して細身で長身のセクシーガイに変身していて、感慨深いものがあります)

その恋人パトリックの、無神経さと自分本位さにイラつきます。ウィルの世話を仕事以上に親身にこなそうとするルーに気づいて焦る彼でしたが、ウィルのために必死なルーの気持ちは止められないのでした。

ウィルはスイスでの安楽死を心に決めていて、そのことを知ったルーはウィルの決心を変えようとしていたのです。家にこもったままでいた彼を、いろんな場所へ連れ出します。楽しむ時間を持つことで、生きることを選んでほしいと願い、考えつく限りの努力をするのでした。

この先はネタバレを含みます。未見の方はご注意ください




肢体不自由になったのはバイクにはねられた事故によるものでしたが、それまでのウィルは有能でハンサム、そして立派な体格を持つエリートビジネスマンでした。

仕事はもちろん、マリンスポーツもウィンタースポーツも豪快に楽しみ、美人の恋人もいる生活。実家はお城という絵に描いたような富裕層です。

そんなふうにすべてに優れ、恵まれた生き方をしていた彼にとって、事故後の生活は耐え難いものでした。

首から下の麻痺は生涯治らず、大量の薬で体調をコントロールする毎日。麻痺で動けないだけでなく体質も虚弱になり、何度か危険な状態に陥るような日々を送っていました。

事故前に付き合っていた恋人は、自分の親友と結婚することになるという残酷さ。その元カノがウィルを結婚式に招待するってのもすごいメンタルだけど、ショックを乗り越え、ルーとともに出席することにするウィル。

結婚パーティーのダンスタイムで、大勢の出席者が踊り出す中、ルーを車椅子の膝に乗せて踊るウィル。そのまま場外へ出て、二人乗りの車椅子で夜道を疾走するシーンは感動的でした。

安楽死の決心を変えさせようと、計画を立てるルー。競馬観戦やクラシックコンサート鑑賞、ルーの家へ誕生パーティーへの招待。海のバカンス。

ルーとの交流によって前向きになったように見えるウィルは、それぞれの体験を楽しみます。

そして海への旅行の夜、互いに愛し合っていることに気づく二人。

それでも彼が出した答えは、やはり決めた期限で「死」を選ぶことでした。

これは難しい問題で、簡単に賛否は言えません。彼の両親ですら、意見が分かれて苦悩します。

言えるのは、「苦しみの深さは本人にしかわからない」ということ。

夢の中では元の元気な自分なのに、目が覚めるたびに現実と絶望に襲われる。動けないだけでなく、いつ急変して死ぬかわからない身体。

愛する人を、ルーを、抱きしめることすらかなわない。このままルーがそばにいてくれても、ルーの未来と可能性を奪うことになるジレンマ。

理解できる一方、彼はお城に住むような貴族階級です。たとえ一生動けなくても、家族に経済的負担をかける心苦しさはありません。自分がいることで家族が苦しい暮らしになるような人だったら、さらに別の苦しみがあることでしょう。

もし、私だったらどうだろう。

今は「何があっても、生きられるだけ生きたい」と思っているけれど、それは今ほぼ健康で、自由に動ける状態だからではないのか。

重病等によって、もし激痛と闘うだけの時間が続く毎日だったらどうだろう。苦しさに耐えかねて、「もう、終わりにしてください」と願うかもしれない。

そして自分ではなく、もし家族がそんな状態だったら?

どんな状態でもやはり、生きていてくれるだけでいい、と願うと思う。尊厳死を望む本人と、生きてほしいと願う家族。

どちらが正しいとは言えないけれど、どちらを尊重すべきなのだろう。でも、いずれにしても日本で安楽死は認められていない。

結局、変わらず「尊厳死」を選ぶウィル。そして遺言によって、パリでファッションを学べる資金と環境をルーに贈るのでした。

人生の終了を自分で決め、愛する人の幸せを祈り、未来を応援する。

その選択は、やはり他人がどうこう言えないのだと思う。

しかし。

何かひっかかる。

よく考えたらその「ひっかかり」が何だか見えてきた。

「最強のふたり」でも「最高の人生の見つけ方」でもそうでしたが、身体が不自由なのも余命宣告を受けたのも、人並みはずれた大富豪です。

「最高の人生の見つけ方」では、富豪の男(ジャック・ニコルソン)が、病院で同室になった労働階級の男性(モーガン・フリーマン)を誘って、残り少ない人生を楽しむために一緒に世界を周る豪遊旅行に出かけます。でも、そんなことができるのも富豪ならでは。

住み込みの介護人を雇ったり、リッチな行程の世界一周旅行に出かけるような選択肢は、大金持ちしか持ってません。

じゃあ、庶民や貧乏人が同じような境遇に陥ったとき、何ができるんだろう。医療費を工面しながら自分と家族が生活を維持するだけで精一杯の毎日になるのでは・・・。

応募してきた介護人を次々不採用にしたり、世界一周旅行したり、誰かの夢のために足長おじさんみたいな援助したりどころじゃないよね、どう考えても。

そう思うと、それぞれの作品の「いい話」が、リッチじゃないと成立しないことに気づき、ちょっと感動のトーンが下がってしまうのでした。

ちょい重教訓:
 自分の人生の終(しま)い方を
 考えてみることが
 生き方につながる

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