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「この世界の片隅に」~戦争と同時にあった日常の世界

 

広島の江波で生まれ育った少女すずは、面識もない周作のもとに嫁ぐため呉へとやってくる。戦況が激しくなる中、戦時下の庶民の暮らしを、すずの人生を通して描く。(2016年)
おすすめ度★★★★★

あらすじ

1944年広島。18歳のすずは、顔も見たことのない若者と結婚し、生まれ育った江波から20キロメートル離れた呉へとやって来る。それまで得意な絵を描いてばかりだった彼女は、一転して一家を支える主婦に。創意工夫を凝らしながら食糧難を乗り越え、毎日の食卓を作り出す。やがて戦争は激しくなり、日本海軍の要となっている呉はアメリカ軍によるすさまじい空襲にさらされ、数多くの軍艦が燃え上がり、町並みも破壊されていく。そんな状況でも懸命に生きていくすずだったが、ついに1945年8月を迎える。

シネマトゥデイより

私は以前、戦没者・戦傷病者に関する仕事をしていたことがあります。それまで、私にとっての戦争は「教科書の中にある歴史」でした。母から「戦時中はひもじかった」という話は何度も聞かされましたが、私の知る範囲の親族で戦争によって亡くなった人はいません。そのため戦争による喪失の悲しみを身近な人から聞く機会もなく、実感に近付けることはやはり困難だったのです。

その戦没者関係の仕事をした当時は戦後60年くらい経っている頃。その時に初めて、戦没者の妻や遺族、戦傷病者に対する国の補償事業(恩給や年金とは別の)が続いていることを知ります。そして「60年経っても『戦後』は終わっていなかったのか」と衝撃を受けたのです。

しかし一方で、空襲等で命を落とした市井の人々には補償が何も無いことを考えると、複雑な思いがありました。戦争で命を落としたのは同じなのに、一貫して戦没者とは区別されています。東京大空襲だけでも、10万人以上が亡くなっていますが、非戦闘員の市民は単に「不幸な人」「不運な人」として死を受け入れるしかなかったのです。

この作品の主人公すずは、そんな時代を生きた広島の女性。

のんびりとして優しく、絵を描くことが好きでちょっと天然なすず。怖い兄、そして仲の良い妹とともに育ちますが、18歳のときに寄せられた縁談で、呉へ嫁ぐことになります。

親同士が決めた、会ったこともない相手と結婚することが珍しくなかった時代。乗り気なわけでもないけれどイヤという理由もないまま、呉の周作と結婚するすず。当時、多くの女性がそうだったように、自己主張をするでもなく、ある意味流されるままに生きています。すずの嫁ぎ先の姑たちはおっとりと優しい人で、ヨメいびりのようなことがないのが見ていて救いでした。

戦地では激戦が繰り広げられていても、国内での暮らしは暮らしとして、不便ながらも日常が淡々と営まれていたことがわかります。配給物資が減っていく中、食事を工夫し(まずくなる失敗もし)、服を縫い直し、闇市へ買い出しに行き・・・と、苦労はしてもすずに悲壮感はありません。それどころか、空襲が始まるまでは、戦争中であることがピンとこないような、のんきな雰囲気すらあります。

実際、戦時下だからといって、家に残る者たちは気持ちを常に張りつめていたわけではなかったのでしょう。おかしければ笑い、食べ物に一喜一憂し、お風呂で一息ついて・・・。

すずには、幼なじみにほんのりとした初恋がありますが、それをどうこうするでもないまま嫁いだことから、途中、相手がすずの婚家を訪ねてくるちょっとした波乱があります。でも、周作を想い、相手を拒否するすず。

すずが時代と運命に流される一方、夫周作の姉・径子は対照的な女性です。モダンガールとしておしゃれを楽しんでいたようなタイプで、すずと違い恋愛で結婚しています。しかし夫を早く亡くし、子供のうち男の子を婚家から跡取りとして取られ、娘(晴美)だけ連れて実家へ帰ってきます。すずとは違い、物言いがはっきりしてキツい径子。

すずが径子の娘・晴美と一緒にいるとき、空襲の不発弾の爆発によって晴美が亡くなります。そして、すずは命は助かったものの、右手を失ってしまいます。それは、絵を描くという唯一のささやかな楽しみを失うことでもありました。

径子から「あんたがついていながら!この人殺し!」と責められるすず。

晴美の反対の手を引いていたなら。
急いで走ってその場を離れていたなら。
晴美ちゃんは死なずに済んだのでは。

すずはたくさんの「もしも」を反芻します。

でも、このお話で本当に一番大きな「もしも」は、すずが広島に帰らなかったこと。もし予定どおり広島に帰っていたら、すずは原爆にあって死んでいたかもしれないのです。

ほんの小さなことが生死を分けた時代。
さっきまで笑っていた人が突然死んでしまう。
日常のとなりに死がある日々。

すずを責めた径子も、やり場のない感情をすずにぶつけてしまっただけで、本当はすずのせいではないことはわかっているのです。家の陰で、晴美を想って一人で慟哭する径子。

この径子は、すずが嫁いだ当時からキツく当たっているように見えましたが、本当は優しい人なのです。自身も幸せとは言えない人生を歩んでいながら、それでも「自分で選んだ道だから後悔してない」と言い、望んで嫁いだわけではなかったであろうすずを気遣います。実家に帰るもここへ残るも、すずが自由に選べばいいと。

呉にいたすずにとっての原爆は、呉から見えた大きなきのこ雲、という程度でした。新型爆弾による歴史的に凄惨な被害も、すずの目を通してみると日常の中にあった空襲のうちのひとつに過ぎなかったように見えます。

そして玉音放送による終戦。
でも、生活は、人生は続いていくし、生きていかなければいけない。

たくさんの人が亡くなり、その悲しみを抱えながら。
毎日を紡ぐようにして、多くのことを乗り越えながら。

生まれた時代の運命を受け入れ、生活を、街を立て直し続けた人たちの努力の上に発展した国に、私達は今生きている。そのことをしみじみと思い出させてくれる作品です。

絵柄は優しいパステル調で、時折、すずが描く絵のイメージ画のようなシーンが織り込まれています。そして、すずの声を演じたのん(能年玲奈)さんは、素朴でのんびりとしたすずの雰囲気にぴったりです。

最後に救いとなったのは、原爆で母を亡くした孤児が、すずと周作夫婦に拾われたこと。すずに、右腕をなくした自分の母の面影を重ね、おにぎりを差し出す女の子。

その子を家に連れて帰り、家族も受け入れている様子が描かれます。亡くなった晴美の服をその女の子のために出してあげる径子。エンディングロールでは、同じ生地から径子、女の子、すずの服を作ったりと、北條家の子供として可愛がられる様子が伺えます。

娘の晴美を亡くした径子に、愛情を注げる対象ができたことは未来の希望でもあり、私にとっても救いとなったエンディングでした。

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