スポンサーリンク

「打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?」~二度と戻らない夏の、切ないノスタルジー

[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

[DVD] 打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか? Third Edition
価格:3110円(税込、送料別) (2017/8/13時点)

 

達観したような大人っぽい女子とおバカ男子たち。甘酸っぱくて、切なく懐かしい小学生の夏。もしもあの時・・のファンタジーが水に溶けてゆらめくような作品。岩井俊二監督の映像が美しい。(1993年)
おすすめ度★★★★

解説

 「Love Letter」「スワロウテイル」の岩井俊二監督が、フジテレビのドラマ枠『ifもしも』のスペシャル版として製作した、打ち上げ花火を巡って繰り広げられる少年少女の夏の一日を、瑞々しくも郷愁あふれるタッチで綴った作品。小学生最後の夏休み。その日は学校の登校日で、夜には花火大会が行われる。プールでは典道と祐介が50mを競おうとしていた。そこに、二学期には転校してしまうなずながやってきた……。

 allcinema ONLINEより

打ち上げ花火は、横から見たら丸いのか、それとも平べったいのか。
そんなことで口論になる小学生男子たち。

クラスの美少女・なずな(奥菜恵)への淡い恋心。夏休みの登校日、花火大会。田舎の風景、夜のプール。灯台を目指す小さな冒険。

これでノスタルジーを感じなかったら、他に何で感じるのよ。

それにしても、幼かった頃の奥菜恵の美少女っぷりが超絶的。プールのへりに仰向けに横たわって、片足だけプールに浸してたシーンなんて、子供なのに何かドキドキしてしまう。

典道と祐介がプールで、50m水泳で賭けをして競う。勝った祐介は、大好きななずなから二人きりで花火大会に行こうと誘われるが、照れや恥ずかしさから、男子の友達たちと灯台へ行くことを選んでしまう。

親の離婚で夏休み明けには転校することになったなずなは、駆け落ちの家出を計画し、浴衣姿で荷物を持って祐介の家を尋ねるが、典道から「祐介は来ない」と告げられ、家をあとにする。

そして母親に見つかってしまい、激しく抵抗するも母親から強引に引きずられてゆくなずな。

 

もし自分が50m水泳で勝っていれば。

祐介のように逃げ出したりせず、なずなとの約束を守って彼女と一緒に行ったのに。

 

そしてシーンは、タイムループしたかのように50m競泳が終わった瞬間へ戻るのでした。そして今度は、勝ったのは典道。そして、なずなのトランクを抱え、小さな逃亡の旅へ出る典道。結局途中で帰ってくるのだけれど。

夜のプールに忍び込んで、服のまま泳ぎ、はしゃいで水とたわむれる二人。

そして、「今度会えるの二学期だね。楽しみだね」と笑うなずな。

 

この一連のシーンは、もしもあの時・・・と思う典道の空想ファンタジーなのだろうか。

きっと本当は、なずなは二学期にはいなくなっているのだろう。そして、切なくもみずみずしい「青春のもしも」を、一つも持ってない人なんていないんじゃないかと思う。

 

個人的なことだけど、「打ち上げ花火を横から見たら丸いのか平べったいのか」にまつわることについて、私は今でも忘れられずに後悔していることがある。

私の母方の祖母はすぐ近くに住んでいたけれど、他県出身の父はあまり帰省したりしなかったので、私は父方の祖父母とは数えるほどしか会ったことがなかった。

それでも一度、私が小学生の頃、父方の祖母が夏にうちへ遊びに来たことがあった。

私の住む町では夏に花火大会があり、ちょうど祖母が滞在していた時だったので、みんなで観に行った。

そしてその時、祖母が花火を見上げて、

「ちょうど丸く見える場所で良かったねえ」と言った。

私は思わず、

「花火は球形なんだから、どこから見たって丸いんだよ」と言ってしまった。そして手で円盤形を作ったり球形を作ったりして違いを説明した。

祖母は、

「ああ・・そうか、そうなんだねえ」と、ちょっと恥ずかしそうに言って笑った。

 

ほとんど会ったことがない祖母にあまりなじめず、遊びに来ても親しみを持てなかった当時の私。

祖母は当時の年代の田舎の女性の多くと同じように、夫と姑たちに必死に仕え、娯楽もないような毎日の中で漁村の嫁として生きてきた人だった。長年の漁村の仕事と畑の作業で腰は曲がり、やせていた祖母。

私はそんな祖母に向けて、小賢しくも訂正の言葉を投げた。

でも自分が大きくなるにつれ、あんなこと言わなければ良かったと後悔した。花火の形についてたとえ間違って認識していたって、何てことなかったのに。

高齢者のささやかな勘違いを、わざわざ指摘して訂正する必要なんて無かったのだ。

 

「ちょうど丸く見える場所で良かったねえ」
「うん。良かったね」

 

花火を見上げたまま、そう答えればよかった。

 

めったに会えない祖母が「良かったねえ」と感じられた貴重さに比べれば、花火が丸いっていう正解なんて、どうでもいいことだ。

久しぶりに会う孫と一緒に観る花火に、わずかな正しさなんて必要じゃなかった。楽しく眺めていられたあの時間が、大切なことのすべてだったのに。

幼かった私は、そんなことに思い至らなかった。

 

おばあちゃん、ごめんね。

 

祖母はもうずいぶん前に亡くなり、そのことを話せる機会は、もう二度とこない。

祖母が暮らした父の実家は3.11の津波で流され、家を継いでいた長男である叔父夫婦も、津波から逃げる途中で亡くなった。

 

この作品は打ち上げ花火のはかなさと、小学生特有のひと夏のきらめき、みずみずしさ、そして甘酸っぱさを描いたものだけれど、私にとってはおばあちゃんがいたひと夏の後悔を思い出す、ほろ苦い作品なのでした。

切ない教訓:
 人生には
 正しさより大切なこともある

 

Pocket

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする