映画とその周辺を好き勝手に楽しむ主義の、みはるです。
昨日、映画『セトウツミ』のレビューで「原作読むつもり」と書いたところでしたが、今日さっそく買ってきました。
食べたいときがウマイとき!! 読みたいときがオモロイときじゃ!!
じゃーん!!
とりあえず1・2巻だけどね。
今日はめっさ暑かったんで、読書のお供はアイスコーヒーで。
んで、読んでみた。
いや~、エピソードをかなり忠実に映像化しててちょっと驚いた。
しかし、2巻第11話「人間と動物」。
・・・
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・・・笑い死ぬかと思ったわ!!!!!
なんでこのエピソード、映画化のとき採用されなかったんだろ。
遅刻して生物の授業をサボってしまった瀬戸に、生物の木沢先生が「大事な箇所だから」と特別に授業内容を説明してくれる、という回。
人類の進化についてゴリラとチンパンジー、人類のDNAなんかについて個人講義してくれる木沢先生。
テーマがテーマの上に、この木沢先生、ビジュアルが完全にゴリラ似。
そして話してるうちに、
「つまり我々ゴリラは・・・」と、
まさかの言い間違いをぶっ放す木沢先生。
「あ 我々人類はゴリラとの共通点というのはたくさんあって・・・」と、さして気にもせず言い直し、話し続ける先生。しかしもはや手遅れ。完全にツボに入る瀬戸。
ここから繰り広げられる、笑いをこらえるための瀬戸の脳内バトル。瀬戸が笑いをこらえる崖っぷちにいるのを知りながら、内海が追い打ちをかけて笑かそうとするくだりは、瀬戸以前にこっちが耐えきれず、笑いが止まらなくなってしまった。
実際、笑ってはいけない状況でツボってしまった時、ツボらせた側は気づいてなかったりする。
若い頃、母親と一緒にあるお宅を訪ねたことがあったのですが、うちの母親とそこの奥さんが、話しに夢中になり始めたんですね。私たちにお茶を出そうと、茶托と茶碗を出して座卓に並べた奥さん。そして急須でお茶を注ぎ始めたのはいいのですが、会話に夢中で上の空だったのか、手元を見ているのに、お茶を注いだ先は茶碗ではなく、なぜか「茶托」のほう。
「茶碗の横に置いた茶托にお茶を注ぐ」という、コント並みのシュールさに思わずツボる私。しかし当の本人であるおばちゃんは「あらら」くらいの反応で、気にせずおしゃべりを再開。私はたまたま母のお供でついて行っただけのお宅だったので話すこともなく、ひたすら下を向いて瀬戸並みに笑いをこらえるのに必死でした。
そんな昔の出来事を思い出すくらい、おかしいエピソードがてんこ盛りの「セトウツミ」。しかし、そんなふうに9割方笑わせられる一方、切ないエピソードを1割放り込んでくる構成がズルいわ。
もう完全にこの二人が好きでたまらなくなったので、残り全巻買いしようと思う。
それにしても、漫画や小説の原作から映画化、というパターンは多いので、今回のように後追いで原作を知る、という機会は少なくありません。
先に原作を知ってるパターンだと、映像化作品を観て「何か違うな―」と思ってしまうことも確かにありますが、それでも「原作の世界観を守れ!!」「映像化なんてやめろ!!」とまでは思わないかな。それを言えるのは原作者だけだろと思ってしまうから。
それより、今回のように映像から入って原作を知る、っていうメリットを楽しみたいと思う。漫画だけみても、漫画大国の日本には何しろ膨大な数の作品があるので、知る機会までもたどり着けないってことも多いんですよね。
順番はどっちでも気にしない派。面白がったもん勝ちってことで。
とりあえず、漫画「セトウツミ」、オススメ。