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「ガタカ」~情熱はDNAを超えられるか?そして人生の満足度の真理とは

受精卵の段階で選別し、遺伝子操作の上で出産することが普通となった近未来。
マイナス要因を排除しないまま自然出産で生まれた者は「不適正者」として差別される社会で、劣性遺伝子を持ちながら宇宙飛行士を目指すヴィンセントの人生を描く。(1997年)
おすすめ度★★★★★

解説

 遺伝子工学が発展した近未来。社会は遺伝子の優劣においてのみ人間の才能を判断していた。そのため、新生児は受精段階において遺伝子操作を行われ、遺伝子的に優秀な人材のみに選別されていた。そんな中、遺伝子操作をされることなく生まれてきたヴィンセントは、出生時に約30年の寿命と診断され、生まれた時から将来の見込みがない子供として育つ。やがて、ヴィンセントに遺伝子操作を受けた優秀な弟ができる。しかし、兄でありながら遺伝子の優れた弟には何をしてもかなわず、希望の無い生活を余儀なくされた。見せ付けられる差。やがて、ヴィンセントは宇宙飛行士を夢見るようになるが、その夢も劣性の遺伝子のため尽く断ち切られていった。しかし、そんな環境においても夢を追い続けたヴィンセントは、ある日、ずっと勝てなかった弟との度胸比べに勝ち、家を捨てて一人旅立つ。職を転々しながら下級クラスの生活を送った末、宇宙飛行士の施設“ガタカ”の清掃業についたヴィンセントは、ある日、闇業者の手配により、事故のため身障者となった元エリートに偽装し、“ガタカ”にエリート社員として潜り込む。しかし、そんなある日、ヴィンセントの正体を疑っていた上司が殺害され……。

allcinemaより

何度観たか、もう数えられないくらい大好きな作品。SFジャンルではありますが、むしろヒューマン・ドラマの色彩が濃い映画です。

細胞に刻まれたDNAというコードの重み

オープニンロールで画面一杯に映る、謎の白い巨大ブーメランのようなもの。

それは落下と同時に重い轟音を響かせます。続いて、太く黒い綱のようなもの。そして雪のように積もる粉。

それらは、実は爪や髪の毛、垢といった身体のささいな断片が大写しにされたものなのですが、それらが持つ意味の重みが、やがてわかります。

そして、オープニングクレジットでは、キャストの名前のA・T・G・Cのアルファベットだけ浮かび上がりながら進みます。

作品タイトルでもあり、宇宙局の名前でもある「GATTACA」は、DNAに含まれる4つの塩基物質A(アミン)、T(チミン)、G(グアニン)、C(シトシン)の頭文字のアナグラムです。

この4つの塩基物質でできているDNAが組み込まれた50兆もの細胞によって私達の身体は構成されているわけですが、その塩基配列は一生変わることはありません。

つまり「生まれつき」という要素が、どこまでその人の人生を支配するのか。

人種でも肌の色でもなく、遺伝子の優劣で階級が決定される社会というSFですが、遺伝子工学が進んだ現代においてデザイナーズベビーはあながち不可能でもないわけで、複雑な思いがします。

弟との確執と逆転

自然出産で生まれたヴィンセントは身体機能も低く病弱で、遺伝子操作を受けて生まれた弟には何をやってもかないません。

宇宙飛行士になりたいという夢も、「不適正者」である彼にとって不可能なのは明らかで、両親からもあきらめるよう諭されます。

時折、弟と度胸比べのために海で沖へ向かって限界まで泳ぐ競争も、決して勝てない。でも、青年となって遂に奇跡的に弟に勝ち、家を出てゆくヴィンセント。

彼は住所不定者のような暮らしをしながらも宇宙局ガタカに入社することを諦めず、ブローカーを通じ、偽装用DNAの提供者ジェローム(ジュード・ロウ)と組むことにします。

ジェロームは完璧な遺伝子を持ちながらトップになれず、挫折したエリートなのです。(このジュード・ロウの神がかったような美しさ!男ですが「美しい」としか言いようがないです)

宇宙飛行士となる学習やトレーニングを積んでいたヴィンセントにとって足りないのは、「適正者」のDNAだけ。面接では上手くジェロームの尿を使い、ついにガタカへ入社を果たすヴィンセント。

ガタカの入館ゲートで指先を乗せる針付きチェッカーをパスするため、毎日指先へ人工皮膚を貼り付けてジェロームの血を仕込みます。

いちいち指を刺されるドSなゲートってどうなのよ?と思いますが、毎日淡々とゲートを通過するエリートの皆様。

ヴィンセントは不適正者である自分の痕跡を残さないよう、毎日体中をこすって垢を削り落とし、髪は整髪料で固めます。

それほど注意していたにもかかわらず、落としてしまった「まつ毛」。

それがガタカ内で起きた殺人事件の容疑者の遺留品として拾われ、追い詰められてゆきます。ですが、このストーリーにおいて殺人事件は二次的なもので、重要な意味を持ちません。

DNA提供者のジェロームは、完璧な遺伝子を持ちながら水泳で銀メダルどまりだったことで絶望し、自殺を図ったため車椅子生活の身障者となっています。

一方、劣性遺伝子で生まれながら夢に突き進むヴィンセント。まさに対極にある二人です。

生まれつきの優れた能力を持つが、活かしきれず挫折する者。

身体的に劣るが強固な意思と努力をし続ける者。

人は生まれつきの資質を努力で超えることはできるのか。

ガタカで起きた殺人事件を担当する刑事は、ヴィンセントの弟でした。適正者である彼はエリート刑事となっていたのです。

何年も前に家を出て行方不明だった兄が、適正者と偽ってガタカ局員となっていることに気づき、二人きりで対峙することとなる弟。

ヴィンセントが家を出る前の最後の遠泳勝負で、自分が負けたことを認めない弟。その弟へヴィンセントが放つ言葉は、彼の人生観のすべてを物語ります。

「僕に何ができるか決めつけるな!」

そして二人は決着をつけるため、夜の海へ再び泳ぎ出すのです。

才能は絶対なのか

ヴィンセントは生まれた時点のDNAチェックで心臓病を予告され、寿命は30歳と告げられています。

さらには遺伝子格差社会において絶望的に不利な状況で、無謀な夢を目指して彼ほどの努力を続けるなんてことが、私だったらできるだろうか。

彼は「戻ることは考えずに全力で泳いだ」のです。強固な意思と努力で、まさに命がけで、他人が決めた自分の可能性の限界を超えてみせた。

 

自分はどこまで、何ができるのか。

 

情熱が資質を超えることは、起こりえると思います。ただしそれは他者との比較における相対的なものでなく、個々の絶対値として見た場合でしょう。

例えば、私がどんなに過酷なトレーニングをしようと、ウサインボルトより速く走ったり北島康介より速く泳げるようになるとは思えませんし、実際無いでしょう。

でも、私の資質ではありえなかったような、誰もが「まさか」と言うようなタイムを叩き出す可能性はあるのです。

 

人生の満足度の真理とは?

完璧な遺伝子のはずが、2位どまりで絶望したジェローム。短い寿命を知りつつ、宇宙飛行士という夢に挑戦し続けたヴィンセント。

ヴィンセントはおそらく、彼にできるあらゆる努力をしたでしょう。恵まれているとは言えない自分の能力を最大限に発揮し、限界とされる以上のことをやり遂げた。

遺伝子格差を語るまでもなく、私たちは一人ひとり体格も体力も能力も容姿も、そして生まれ育つ環境も違います。

与えられる機会だって、公平でもなければ平等でもないのです。何に幸せを感じるか、どんなことで満足を感じるかも、同じじゃない。

でも、「命が尽きようとする時、自分の人生に満足し、納得できるかどうか」を考えてみたとき、私がたどり着いた答えは「自分のできること、能力を使い切った。ちゃんと自分の内にあるものを活かしきった」と感じられることではないか、ということでした。

得たものや成し遂げたことの大小ではなく、「自分という素材を活かしきった」、そして「生ききった」と思えるかどうか。

それに尽きる気がします。

そしてヴィンセントは、きっとそう感じていたと確信できます。

その意味で、たとえ予告されたように短い人生に終わるとしても、彼に悔いはないと思うのです。自分の持てるすべてを出し切った実感があるはずだから。

ガタカの無機質な建物と、外の黄昏時のような空気感。ユマ・サーマンの美しさ。遺伝子検査官の粋なはからい。

水泳をモチーフとした、弟及びジェロームとの人生の対比の描き方も見事です。

映像・キャスティング・脚本・演技・音楽すべてが素晴らしい作品。

必見です。

 

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